1994年11月22日にセガサターンが発売されました。セガサターンの名は、セガの六番目のコンシューマゲーム機であることと、太陽系第六惑星が土星(サターン)であったことから付けられたものです。
セガサターンはセガにとって、家庭用ゲーム機の最大の国内販売数(国内累計販売台数580万台)を確保しました。しかし、様々な要因によって1998年頃から急激に勢いを失い、ソニーのプレイステーション(PS)に敗れ去ることとなりました。
1 販売当時の状況
セガサターンが発売された1994年当時、ゲーム機の日本国内の普及台数は任天堂のスーパーファミコンが約1,500万台、メガドライブが約350万台となっており、大きく水をあけられていました。その上、NECのPCエンジンが550万台超でセガは日本国内では強い存在感を示すことが出来ないでいる状態でした。
国外に目を向けるとメガドライブ(ジェネシス)の累計販売台数は米国で約1,300万台、スーパーファミコン(SNES)は約1400万台と互角の戦いを繰り広げていました。
1994年からセガサターン(1994年11月22日発売)、プレイステーション(ソニー:1994年12月3日)、NINTENDO64(任天堂:1996年6月23日)、PC-FX(NEC:1994年12月23日)、3DO REAL(松下電器:1994年3月)、ネオジオCD(SNK:1994年9月9日発売)、ピピンアットマーク(バンダイ:1996年3月28日※マルチメディア機であるため厳密にはゲーム機ではない)と発売が続き、次世代ゲーム機の主導権争いが苛烈となっていきます。
2 スペック
CPU | メイン:SH2(28.64MHz 25MIPS)×2 サウンド:MC68EC000(11.3MHz) |
メモリ | RAM 2MB・VRAM 1.5MB |
グラフィック | 解像度 : 320×224~704×480ドット 発色数:1677万色 スプライト:拡大縮小、回転、変形スプライト ポリゴン描画性能:最大90万ポリゴン/秒 |
サウンド | SCSP:Saturn Custom Sound Processor PCM音源:32ch (量子化数16ビット) FM音源:8ch (サンプリング周波数最大44.1KHz) オーディオDPC搭載 CD-DA再生可能 サウンドRAM:512KB |
プレイステーションのCPUはクロック周波数が33.8688MHz、30MIPSでメインメモリが2MB、VRAMが1MBとなっています。セガサターンはCPUを二つ積んで機能を向上させているため、一見サターンの方が処理能力が高いように見えます。
しかし、セガサターンのシステム上、ポリゴンの最大描画性能が出ることはありませんでした。加えて、CPUを二つ積んでいるマルチプロセッサ機能を、サードパーティーが最大限有効活用することが難しいという点もありました。(公表上、サターンは最大90万ポリゴン/秒に対してPSは最大150万ポリゴン/秒 であった)
3 販売推移
セガサターンが発売された1994年、上記の図を見てまず目を引くのがスーパーファミコンの圧倒的な累計出荷台数(1447万台)です。同世代機のメガドライブと3倍以上の差をつけ、1995年以降もさらに販売台数を増やしています。この王者スーパーファミコンに対して、次世代機を販売する各社は挑み、破らねばなりません。
1994年におけるセガサターンの累計出荷台数は84万台、プレイステーションは60万台とスタート時点では上回っています。これは値段差(サターンは44,800円、PSは39,800円)があるにもかかわらず、発売日がプレイステーションより10日ほど早かったこと、キラーソフト「バーチャファイター」の存在、そして従来のセガファンの力が寄与したことが考えられます。
次に、1995年度に目を向けると両ゲーム機はゲームソフトの充実、本体価格の値下げ(サターンは44,800→34,800円に、PSは39,800→29,800円に)の効果に伴いセガサターン250万台、プレイステーションは245万台と順調に累計出荷台数を増やしていきました。
目立った転換点となるのは1996年度です。これまでやや優位性を保っていたセガサターンはプレイステーションとの累計出荷台数でおよそ180万台近くもの差(サターンが480万台、PSが650万台)をつけられてしまいます。様々な要因の中で、大きなものと考えられるのが、1996年初め頃に発表されたスクウェアの「ファイナルファンタジーⅦ」が1996年12月にプレイステーションで発売されるという大ニュースです(実際の発売は1997年1月31日)。
NINTENDO64も同じ1996年度に発売され、次世代ゲーム機としての普及を図りますが、サードパーティーを厳選した結果として優良なソフトには恵まれたもののソフトの種類の豊富さに劣り、プレイステーションの後塵を拝することとなります。
セガサターンは1996年3月に34,800円から20,000円へと大幅な値下げに踏み切ります。同年「ナイツ」や「サクラ大戦」といった魅力的なソフトも販売されましたが、プレイステーションに追随するには至りませんでした。
1996年から、後継機となるドリームキャストが発売される1998年までセガサターンの累計販売台数の推移は480万台から580万台へと勢いを失っていきました。それに対してプレイステーションは、650万台から1545万台へとさらに大きく躍進し、2000年度には累計出荷台数が1820万台へと増やして、とうとうスーパーファミコンを超えることになりました。
4 サターンの敗因
次はセガサターンの敗因について考えてみます。前述したとおりプレイステーションとの出荷台数に大きく引き離され始めたのが、FF7の発表されたころより始まっています。このことは確かに大きな要因ではありますが、あくまで要因の一つであり他にもセガサターンのプラットフォームとしてのネックがあったと考えます。
ゲーム誌「サターンFAN」1995年3月号のゲームアーツの宮地氏とビクターエンタテインメントの小森氏の対談において、セガサターンが発売されてから約1~2か月後の状況について「バーチャファイター1本かぶりになっちゃっている」「ソニーのプレイステーションのほうが、ソフトのバラエティに富んでいる」「サターンを使いこなした作品が出るのは5年後」と述べています。セガサターン発売から2か月で判断するのは時期尚早に思えますが、これらのコメントは数年後の敗因を示唆しており、非常に興味深いものとなっています。
ソニーは、これまでの任天堂一強体制によるサードパーティーへの影響力を落とし、ゲーム機会社とソフト会社の関係性を変えることを試みました。開発費やソフト製造費を任天堂より大幅に安くするなどし、参入への敷居を大きく引き下げて数多くのサードパーティーが参加を促しました。その結果、有力メーカーから有象無象のメーカーまで多くの企業が参加することになったのです。
セガも当然、多くのサードパーティー参入してもらうことに注力しています。しかし、セガサターンが当時は珍しいCPUを二つ積み込んだマルチプロセッサ機能を有しており、セガサターンの能力を有効活用することは難しいものでした。セガはサードパーティーに対し「バーチャファイター」で使われたライブラリを提供するなどし、開発環境を後押ししましたが、プレイステーションと比べて多くの中小メーカーの参入、ソフトの開発には至りませんでした。
サードパーティーの中には、セガサターンの発売当初からナムコが参入していました。しかし、セガサターン販売終了までゲームソフトが発売されることはありません。それは「鉄拳」を出すと「バーチャファイター」と競合し、どのジャンルにも優秀なソフトを供給したセガとかち合ってしまうため、強みを存分に発揮できないからです。そのため、プレイステーションにおいて発売したほうがメリットが大きいと判断するに至ったのでした。スクウェアも同様の事例がプレイステーションを選ぶ一因となりました。
また、セガサターンがプレイステーションに比べ3D描画に関して大きく劣っているという点も、競争していくうえで大きく不利に働きます。当時の流行として新たな表現としての3Dゲームがもてはやされる傾向があり、よりきれいに、より簡単に表現できるプレイステーションに大きな優位性がありました。
また、ゲーム機本体の値引き競争もセガの体力を次第に奪っていくこととなります。1994年の発売当初の44,800円(本来は49,800円と販売される予定であったが、PSに対抗するため急遽5,000円の値下げが行われた)から最終的に20,000円となりました。値下げ過程のなかで、ハード構造はほとんど変わっていなかったと言われ、売れば売るだけ赤字がかさんでいく状態なってしまうのでした。その後、1998年11月27日にドリームキャストが発売され、セガサターンはセガの主流機としての役割を終えます。
[敗因]
・強力なプレイステーション陣営によるサードパーティー誘致合戦に力が及ばなかった。
・セガサターンの3Ⅾ描画機能はプレイステーションに比べ明らかに劣っていた。
・元来の有力ソフトメーカーの一部はセガありきのセガサターンより、新たな舞台での牽引役、トップメーカーとなる道を選択した。
・過剰なゲーム機本体の値下げにより、赤字がかさみセガの体力を奪っていくこととなった。
今回、ざっとセガサターンの敗因等を振り返ってみたけど、RPGのソフトラインナップが脆弱ということ、ひいてはFF7やドラクエ7をサターンに引っ張ってこれなかったのは、なるべくしてなったのだと思ったよ。サターンの強みであるセガの豊富なラインナップが弱みにもなりえるというのは目から鱗だったね。
そして、改めて気づかされたのはスーファミとPS1の化け物ぶりだね、特にPS1はPS2を出すまでもなくドリームキャストに負けることもなく、淡々とソフトを供給し続けていたことに驚愕したよ。
[参考文献等]
・「セガサターン パーフェクトカタログ」(株)ジーウォーク
・「オールアバウト セガサターン」イカロス出版
・「BEEP! メガドライブ 1994年1月号」ソフトバンク株式会社出版事業部
・「BEEP! メガドライブ 1994年2月号」ソフトバンク株式会社出版事業部
・「BEEP! メガドライブ 1994年5月号」ソフトバンク株式会社出版事業部
・「メガドライブFAN 1994年12月号」(株)徳間書店
・「サターンFAN 1995年3月号」(株)徳間書店
・ウィキペディア:ゲームタイトル一覧 2023年6月15日時点
・セガサターンと振り返るあの時代 奥成洋輔:https://www.mirai-idea.jp/post/segasaturn01
・ゲーム業界.com:http://www.gamegyokai.com/episode/ps-making4.htm
・ゲームハードの売り上げ Wiki:https://wikiwiki.jp/gamehard/%E5%9B%BD%E5%86%85%E7%B4%AF%E8%A8%88%E5%A3%B2%E4%B8%8A%E3%83%BB%E5%87%BA%E8%8D%B7%E6%8E%A8%E7%A7%BB#x3190571
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